『胡同のひまわり』トークイベント
2006年7月1日
於:スペースFS汐留
登壇者:松井昌雄氏、久保純子さん
◆ 会場へお越しの皆様へまず一言ずつご挨拶をお願い致します。
松井:松井昌雄です。本日はようこそお越し下さいました。よろしくお願い致します。
久保:こんにちは。本日はみなさんと一緒に楽しい時間を過ごしたいと思います。よろしくお願い致します。
◆ 実は、お2人は10年前にお会いになっているそうですが・・・。
松井:秀喜の取材に久保さんがいらして、その時にお話致しました。
久保:そうですね、10年ぶりに今日お会い致しましたが、あの時はありがとうございました。
◆ お2人は、『胡同のひまわり』をご覧になっていかがでしたか?
松井:とても感動致しました。今「家庭」とは?を問われている時代ですが、親子・家庭の愛情について訴える力が物凄く強い映画でした。
久保:時代や国は違いますが、家族・親子については普遍的なものだと思います。
私も、4歳の娘を持つ母親であり妻でもありますが、これからどう生きていこうか考えさせられる映画でした。
◆ 久保さんはご両親ともアナウンサーをなさっていらっしゃいましたが。
久保:両親は私がアナウンサーになることに、とても反対していました。それでもアナウンサーになりたくて、こっそり試験を受けに行ったのです。アナウンサーという仕事をすることに、両親から未だに不安だと言われます。
今私も母親という立場になりましたが、娘の将来について、どこまで口を出していいのかまだ分かりません。
◆ 久保さんのご両親は厳しかったですか?
久保:厳しくはなかったです。ただ、今振り返ってみると、外国語を勉強することに対しては強力なプッシュがありました。その当時、遊びたくてしょうがない頃だったのですが、今考えるとあのプッシュがあったからこそ今の自分がいると思います。
映画の中で、仕事・家庭・子育てがひと段落して父親は家を出るシーンは強烈でしたね。男性として人生を楽しむことも大切ですが、女性も同様に趣味などを見つけ楽しく暮らすことが必要だと思います。
◆ 松井さんは素敵なお父様というイメージがありますが、いかがですか?
松井:私が父として今でも理想的かどうかわかりません。人生の中で父を演じているだけです。映画の中の父親は本当に素晴らしいと思います。
久保:今日の新聞記事にあったのですが、今日本では、父親と子供が一週間の中で会話する時間が10時間以下という家庭が過半数を占めているということです。
◆ 松井さんは秀喜選手とよく会話をされていましたか?
松井:秀喜が子供の頃は家で仕事をしていたので、夕食は必ず一緒に食べていました。大切なのは、会話をする時間だけではないと思います。私も仕事でなかなか会話する時間がなかったので、手紙を書いて妻を通して秀喜に渡していました。
どれだけ愛情を伝えるか、時間や回数ではなく愛情の密度が重要だと思います。
久保:愛情は形で見えませんが、家で私はよく娘にキスをしています。
松井:父親と母親とは違いますね。映画の中でも父親は先をリードする役目ですが、母親は今を見てから、夫をカバーする役目でした。あの母親だったから夫をカバーできたのだと思います。
◆ 松井さんは、最近秀喜さんとお話されましたか?
松井:3日前に話しました。
◆ 秀喜選手に進学や結婚のアドバイスなどをされたりしましたか?
松井:高校進学やプロ入り、メジャーへ行く時にアドバイスではなく、父親としての考えを伝えました。決断は秀喜がしますので、どういう結果になろうが子供の判断に任せます。何かしらのサインを事前に出すことが大切だと思います。
◆ 最近は何かアドバイスをされましたか?
松井:最近はないですね。私の周りで起こった出来事を伝えることが多いですね。
久保:しかし、離れていても親子で交流があるということは素晴らしいことですよね。
◆ 映画の父親はとても厳しいお父さんでしたが・・・。
松井:厳しくても、その愛情を分かってもらう努力が大切なのだと思います。
久保:家族はどんなことがあっても一心同体。信頼や愛情があれば乗り越えられると思います。無償の愛で繋がっていると思います。
◆ 松井氏から秀喜選手への手紙朗読
秀さんへ
先日、NYに秀さんのお見舞いに行ったときに、すごくいい映画だったから
「胡同のひまわり」という中国映画のトークイベントに出演するよと言ったときに
秀さんは笑っていましたが、「胡同のひまわり」を見て、親子というのは言葉には
できない深い愛情で結ばれていることを改めて実感しました。映画の中の父親は、
息子の絵画の才能を見出し、彼に夢を託して、自分の人生を捧げます。でも、厳しく絵画を指導
される息子は自由を奪われたことで、父親に反発を深めていきます。でも、たとえ、その瞬間は
葛藤や反発があったとしても、どこかで信頼と確固たる愛情があるから、いつかわかりあえる時が必ず来るのです。たとえそれが親がいなくなった後だったとしても。
秀さんとは、今現在日本とアメリカと離れていて、なかなか会うことは出来ないですが、
頑張ってリハビリをしている様子を見て、父親としてとても誇りに思います。
今回の怪我は、秀さんにとって大きな試練のときだと思います。
しかし、何もいわなくても秀さんは今までも色々な試練を乗り越えてきましたし、逆に
それを逆手にとって更に成長してきたので心配していません。父として、これからもずっと秀さんを見守っていきます。
◆ 実は、そのお返事ということではありませんが、なんとニューヨークの松井秀喜選手からお父様へのメッセージが届いています!ではここで披露させて頂きます。
「ラストのエピソードは言ってしまうとこれから見る人に申し訳ないので言いませんが、
映画全体を通じて、父の子を想う気持ちが痛いほど伝わってきました。
映画に出てくる父は、自由も奪うくらい、徹底して息子を教育するので、
ウチの父とはタイプが違います。でも健在な時は、口うるさいと思っていた父が、
いなくなって初めて、その存在の大きさに気付くという部分は、本当に心を打たれました。
僕もウチのおやじに今のうちに親孝行しておかないといけないな、という気持ちになりました。
そういう意味でも、今は心配をかけているので、1日も早くグラウンドに復帰して、
両親を始めファンの方々に元気なところを見せたいです」
◆ 秀喜選手からの手紙はいかがでしたか?
松井:びっくりしました。でもうれしいです。 映画の父親のように、意思が強い愛情を捧げる父親像が私も理想ですが、出来ないですね。みなさまの応援のお陰で順調に怪我も回復しています。
◆ 最後に皆様に『胡同のひまわり』について一言お願い致します。
松井:映画が訴える力は強いなと実感しました。奥が深く、見逃した重要なところもいっぱいあります。是非、皆さんもご覧下さい。
久保:みなさんも映画をご覧になって、その夜にでも食卓を囲みながら、自分の家族が「こうなったらいいな」などを考えてほしいです。家族で是非見てほしい映画です。
チャン・ファンくん インタビュー
去る4月、北京から、『胡同のひまわり』の主人公、シャンヤンを演じたチャン・ファンくんがチャン・ヤン監督と共に来日しました。同行したお母さんの話によると、2年前の撮影当時のチャン・ファン君は、映画の中のシャンヤン同様、良く遊び、良く喋る少年だったそうですが、あれから少し、彼も成長し、今は思春期の入り口にいるせいか、口数がぐっと減って、人見知りをするようになったのだとか。
『胡同のひまわり』で、チャン・ファン君が演じたのは、1976年当時の北京の下町に暮らす9歳の少年、シャンヤン。1万人にわたる候補者から、この大役に選ばれました。チャン・ファン君にとっては、ちょうど、お母さんの子供時代が舞台背景となり、当時の暮らしぶりを映画の中で体感することは、「とっても面白かった」そう。加えて、「知らないことがいっぱいでびっくりした!」そうです。
お母さんの話によると、中国はこの30年間、大きな変貌を遂げ、親世代は変化に適応するのに精一杯で、子供世代に自分たちの過去をじっくり語る機会があまりなかったとか。『胡同のひまわり』はチャン・ファン君親子にとっても、中国の観客にとっても、ちょっと前の過去を振り返るのに、とてもいい役割を果たしたようです。
――チャン・ファンくんは今回の映画に抜擢されるまでは、演技経験はなかったんですって?
「はい。ジャッキー・チェンが大好きだから、ジャッキーの映画は小さい頃からよく見てたけど、ほかの中国映画はほとんど見たことがありませんでした。ジャッキーはアクションがすごいし、めったにスタントも特撮も使わず、自分で全部、チャレンジするから、とても勇気のある人だと、尊敬しています」
――今回、一万人の候補者から、主役のシャンヤン役に抜擢されたわけだけど、選ばれたときはどう思いましたか?
「やっぱり、すごくうれしかった。がんばって、演じきろうと思いました」
――今回、映画を通して、チャン・ファンくんのお父さん、お母さんの子供だった頃の北京の胡同の暮らしぶりに触れたわけだけど、今のチャン・ファンくんの生活と比べて、どうでしたか? チャン・ファンくんのお友達で、今も胡同に暮らしている人はいますか?
「お友だちの何人かは今も胡同に暮らしている子がいるけれど、ほとんどがみんな、高層マンションやアパートに住んでいます。おじいさん、おばあさんが胡同に暮らしているという子も何人かはいます。『胡同のひまわり』の撮影でおもしろかったのは、昔の子供たちの遊び方。道でメンコやコマ回しをしたり、自転車の車輪を棒で転がして競争したり。初めてやる遊びばかりで、監督や助監督からやり方を教わったんだけど、すっごく面白かった。僕はゲームボーイが大好きで、いつもは友だちとゲームばかりしているんだけど、映画の中のシャンヤンの遊び方は、ゲームより、つまんないってことは全然なかった。でも、みんな今は、シャンヤンのような遊び方はほとんどしません。道に出るのは学校の生き帰りだけで、あとは友だちどうし、お互いの家に行って、その中で遊ぶ。道路は危ないし、外に出ても、遊ぶ場所がないから」
――今、北京からは、昔ながらの胡同の街並みがどんどん消えていっているそうだけど、北京撮影所に再現された胡同のセットはどうでしたか?
「僕は屋根が一番、好きだった(笑)。危険だから上っちゃダメって、言われていたので、シャンヤンみたいにいつでも屋根の上にいるわけにはいかなかったけど、撮影のときは、みんなをおおっぴらに見下ろして、とっても気持ちよかった。シャンヤンがあそこを自分の秘密の場所にする気持ちは、よくわかりました」
お母さん「それで、面白い話があるんですけど、シャンヤンがお父さんと喧嘩して、屋根から降りてこなくなる場面がありますよね。そこで、大地震が起こり、シャンヤンが屋根から飛び降りる場面。その撮影のとき、まだまだ出番がないから休んでいていいよとスタッフに言われて、ファンは寝ていたんですが、急に撮影が再開されることになり、セットに呼び出されたんです。そこで、監督から、リハーサルで、屋根から飛び降りろと言われたんですけど、ファンは寝起きだったせいか、すんなり飛び降りることができたんです。実はあの屋根は結構、高くて3メートルくらいあるんですよ。これはいけるとスタッフが準備しているうちに、ファンはすっかり目が覚めちゃって、いざ、本番になると、高さが怖くて、飛び降りれなくなっちゃった(笑)。違う場所から、いろいろ、チャレンジさせましたが、どこからでもダメで、結局、違う建物から飛び降りたんですよ」
「違うよ。こわくて、飛び降りれなかったんじゃないよ」
お母さん「そうよ」
「違うよ」(すねた顔)
お母さん「ともあれ、あの場面のように、近所の人を巻き込んで、親子げんかすることなんて、今はほんとうに見られなくなりました」
――その親子げんかのシーンだけど、チャン・ファンくんの演技とは思えない泣きっぷりが印象的でした。どうやって、あんなに上手に泣けたのかしら?
「それはお父さん役のスン・ハイインさんが、僕をほんとうにたたいていたから(笑)。スンさんはいつも僕にアイスキャンディを買ってくれたり、レストランにつれて入れて行って、おいしい料理をごちそうしてくれたり、とっても優しい人なんです。だけど、本番になると、人が変わったように、厳しくなるんだ。お父さんが本気で僕をおこったり、殴ったりするんで、あんまり痛くて、演技とか関係なく、泣けてきちゃった。でも、お父さんの気持ちはよくわかりました。お父さんは手が動かなくなって、絵描きなのに、絵を描くことができなくなっちゃったから。それでもやっぱり、シャンヤンがトイレに行きたいのに、行かせなかったのは、ひどいと思った。あんなことされたら、僕だって、お父さんをうらんで、反逆しちゃうよ(笑)」
――なるほど。映画の中のシャンヤンとお父さんの関係には、チャン・ヤン監督とそのお父さんの実際の関係が投影されたようだけど、そういう話は直接聞いたのかな?
「監督は、そういう話は全然、しませんでした。監督もスンさんと同じで、すごく優しい人。初めての撮影の日、お父さんの作ったタン麺を、『その麺、きらいだ』って食べない場面だったんだけど、そのとき、監督がすごく優しく、『シャンヤンはこれまでお母さんが働きに行っていたので、好きなように遊んで暮らしていたんだけど、これからはお父さんが家のことをするようになるから、そう出来なくなるんだ。だから、お父さんに、僕は思うようにならないぞ、という感じでキツくいってごらん』と説明してくれて、それから監督のことが好きになりました。でも、撮影が進むうちに、そんなにこまかいことも言わなくなって、僕に自由にさせてくれました。さっきの話に出てきた、お父さんがシャンヤンをトイレにいかせてくれない場面のときも、お父さんの背中のどこに何歩歩いて、猫を投げつけるのかは指示してくれたけど、なんで猫を投げつけるのかは、言わなかったから」
――出来上がった映画を見て、チャン・ファン君くんは何を感じましたか?
「僕のお母さんの小さい頃に、ああいうことがおいていたなんて、知らなかったから、びっくりしました。四人組がどうだったとか、毛沢東が死んで、大地震が起きたとか、大変な時代だったんだなあって思いました。特に地震の場面のときは、外でくらさなくてはいけなくなって、すごいなあと思った」
――今の時代と比べて、何が一番、変わったと思う?
「今はお父さんじゃなくて、お母さんが子供をたたいているところ」
お母さん「(慌てて)最近は、私も叩いてないわよ」
「フフフ。やっぱり、親子っていろいろおこっても、お父さんが要なんだなあ、と思いました」
最後は、しっかり、親子の絆について、語ってくれたチャン・ファンくん。今後、俳優の道にすすむかどうかは、まだ全然決めていないそうですが、「泣くシーンが多いのと、危険な映画に出るのはもう嫌」とのこと。それでも、お母さんやインタビューアーから、「それでも、ジャッキー・チェンから出演依頼が来たら、断らないでしょ!」とはやし立てられると、ニヤーと微笑んでおりました。
お母さんのこんな言葉が印象的でした。
「シャンヤンの子供時代、中国は貧しく、親たちも余裕がないので、子供たちはその姿を見て、自分の力で大人になろうとしました。今の中国は豊かになりましたが、その分、親が子供にあれこれと構うようになってしまった。『胡同のひまわり』では、自分の人生になにくれと口をはさんでくる親に対して、シャンヤンは反発しますが、今の子供たちは親が自分の人生を手助けするのを嫌がるどころか、自分の人生を決めてくれるのも当たり前だと思っている。その意味で、この映画は中国の親子関係を見直すいい作品だと思います」
『胡同のひまわり』来日会見レポート
2006年4月25日
ゲスト:チャン・ヤン監督、チャン・ファン
◆ ご挨拶
チャン・ヤン監督:今日は、こんなにもたくさんの方にきていただいて嬉しく思います。ありがとうございます。この作品は、日本で公開される私の3作目の映画ですが、日本での興行が成功するように、より多くの日本の観客の皆さんに見ていただけるよう心から願っています。今日は本当にありがとうございます。
ヤン・ファン:皆さん、こんにちは。僕はこの映画でチャン・シャンヤンを演じたチャン・ファンです。皆さんにお会いできてとても嬉しいです。皆さんがこの映画を見ていただけると嬉しいです。ありがとうございます。
◆ この映画は1976年頃から現代までの30年間を約10年で3つの時代に区切って、父と息子の関係を描いています。この3つの時代の中での父と息子の関係、また時代背景について説明いただけますでしょうか。
チャン・ヤン監督:まず1976年について説明します。76年というのは、中国の文化大革命がちょうど終わった年です。その当時の、父の世代というのは非常に政治的にもまれて苦難の多い世代の人たちでした。その当時は、両親は政治運動に忙しく、あまり子供をかまっている時間がありませんでした。時間も気力も無かったのです。なので子供にとっては自由で、幸せな時代だったと思います。学校に行かなくても良く、とにかく遊んでいれば良かったので、子供にとっては良い時代だったかもしれません。しかし、両親が子供を教育する点においては、しつけをするときはとにかく手を出すという暴力的なしつけが多かったと思います。なぜならば文化大革命の中で、両親の世代は非常に辛い目にあっていました。例えば、職場で批判されるなど、外でそのような目にあっていた分、家に帰ると我慢していたはけ口を子供に当り散らしていました。子供のしつけにも政治的側面が表れているような時代でした。
◆ その後、1987年、1999年と時代背景が変わります。
チャン・ヤン監督:80年代に入ると、中国では非常に大きな変化が生まれます。これまで閉鎖的だった社会が大きく外に開かれて、解放政策がどんどん進みます。それに伴い、外国の色々な物が中国になだれ込んできました。私は中学、高校、大学の学生時代をそのような環境の中で過ごしました。新しい新鮮な文化がどんどん外から入ってきていました。例えば、ロックなどがそうです。そういう新しい文化を浴びながら私は青春時代を過ごしました。その時代は本当にファッションが大きく変わった時期でした。広州は香港に近く、当時は非常に最先端な都市でした。流行の服は広州から、中国各地に広まっていきました。一部の若者たちは広州に洋服を仕入れに行きました。そこで最新の服を仕入れ、北京で売るという傾向がありました。当時、流行ったのはロングヘアとベルボトム、ラッパズボンでした。
また、私のような若者の世代と両親の世代との衝突が鮮明になった時代でもありました。ぶつかり合いが大きくあった時代です。学校ではロングヘアの生徒は、門で待っている先生にはさみで髪を切られてしまっていました。若者の流行を追う雰囲気についていけないというのが、当時の両親の世代です。特に90年代末になると経済の発展が加速してきました。思想の面でも外国と変わらなくなってきたというのがその当時の中国の社会状況です。なので70年代と比べると社会的な変化がその時代には見られたわけです。70年代は皆が貧しかった時代でした。精神的な面を重んじて、それを良しとしていたのですが90年代に入るとすべてはお金で判断する時代になりました。お金がすべてという社会で、貧富の差が益々拡大し、お金をどのように稼ぐかということが、人間の一番の目的になってきたような気がします。
両親の世代は70年代まで共産主義に対する信仰を心の拠り所として生きてきた世代です。90年代の風潮にはとてもついていけないわけです。このような時代になると共産主義に対する信仰をどんどん無くしてきてしまったのです。また、彼らは非常に貧しいです。彼らが一生かかって貯めるお金は、現代の若者の一年分の給料と同じというように、格差が見られるようになりました。
◆ 監督と主人公のシャンヤンの設定は同い年ですが、同じ時代を生き、監督自身も19才まで胡同に住んでいたそうですね。自分と重なる部分や反対に対照的な部分はどこでしょうか。
チャン・ヤン監督:この作品は私の少年時代からの視点で時代の変化を描いたものです。でも完全に自伝というわけではありません。しかし、この中に描かれた数多くのディテールはほとんど私の記憶や経験に基づいて作られました。例えば、私が19才まで住んでいた四合院というのは、清朝の西太后の御付の宦官が住んでいたお屋敷でした。私が少年時代を過ごした頃の四合院は、昔のような面影は無く色々な建て増しを重ね、70戸の家族や家が集まって住んでおり、大きな長屋のような四合院になっていました。しかし、私たちのような少年にとって、四合院は非常に面白くて楽しい場所でした。胡同というのは私にとって、楽しい思い出として残っています。私が住んでいた四合院も1999年に壊されてビルになりました。今、その場所に立っているビルのマンションの中に私の両親はまだ住んでいますが、昔の胡同の雰囲気はすっかりなくなってしまいました。
◆ チャン・ファン君は、映画で胡同の中で生活していましたが、どのように感じましたか?
チャン・ファン:僕は今、実際に四合院に住んでいるのですが、住んでみて思うのはすごく便利ということです。ドアを開けてすぐに外にでられるし、外には庭があって花を植えることができるし、動物を飼うこともできます。
◆ アパートだと動物を飼ったりできないんですか?
チャン・ファン:アパートでも飼えるかもしれませんが、そこまで便利ではないし、すぐに地面に行くことができません。花や種を植えることもできません。
◆ 少年を演出するにあたって監督が一番大変だったことは何ですか?
チャン・ヤン監督:実は子供に演技を指導するのはとても簡単なことなんです。特にアマチュアのこれまで演技を全くしたことがない子供が一番やりやすいのです。なぜかというと、プロの俳優さんには決まった観念があるのです。ここではこのように演じなければいけないなど雑念があって、純ではないのです。そういった意味で、まったく未経験の子供に演技を指導するのは簡単なことでした。問題は、私が映画で描こうとする子供の性格を表すようなキャスティングができるかどうかというところでした。子供を選んだ後は、自由に性格を発揮できるように存分にやってもらうだけでした。子供を演出するときは、映画の意味など難しいことは一切言いませんでした。ここでこれをやってねと指示すれば良かっただけです。特に私の子供時代にやった遊びを助監督と一緒に教えました。その遊びに夢中になったらしめたもので、それが演技になったわけです。
◆ 今、監督が自由にさせてあげたとおっしゃいましたがが、チャン・ファン君が撮影中に楽しかったことや大変だったことを教えて下さい。
チャン・ファン:一番楽しかったのは、隣に住んでいる男の子と一緒に屋根に登って、帰ってきたお父さんをパチンコで撃って、お父さんの頭に命中させるシーンです。このシーンが一番楽しかったです。一番大変だったのは、泣くシーンでした。
◆ 監督自身の胡同が取り壊されることに対する思いや北京の都市の再開発など、政策についての感想やご意見を教えて下さい。
チャン・ヤン監督:北京の都市の再開発については、非常に勿体ないと思う面が数多くあります。これまで北京の街は非常に良い状態で保存されており、特に古い建築物が数多く残っていました。しかし、この20年ぐらいの間に建設の速度が速すぎて、盲目的な都市開発が行われてきました。皆が現代化=ビルを建てることだと思い込んで、経済発展の象徴であると言わんばかりに、古い価値のある建物を壊して、どんどんビルに変えていってしまったわけです。しかし、20年経ってこの状態が良いのかどうか、北京の多くの人たちや政府の人たちも考え直すようにないました。ビルを建てることだけが再開発の目的ではないと考え、北京の本当に特色ある建物を多く残していくことこそ、北京らしさを保つことなのだと考えるようになりました。なので、ここ数年になってやっと現代化に対する意識が少し変わってきました。胡同も保存しようとする運動や政府の働きかけも行われるようになりました。しかし、皆がそれに気づいたときは後の祭りという感じで、多くの物が壊されてしまった後でした。
◆ 前の作品の「こころの湯」にもあったと思うのですが、古いものが壊されていく中で、人と人とのつながりがとても大きな影響を与えているのではないかと思います。監督自身は、そのように壊されていくことへの危機感や残念と思う気持ちはあるのでしょうか?
チャン・ヤン監督:個人的には、良い生活、便利な生活をしたいというのは誰しもが思うことだと思います。確かに昔の家は住み難かったわけです。例えば、私の母親は四合院に住みながら、なんとかして新しいマンションやアパートに住みたいとずっと願っていました。やはり生活をするにはとても不便なのです。そして都市の文化が都市の開発とともに変わっていきました。生活文化そのものが変わったと思います。ビルが建ってからは、胡同の時代のようなゆったりとしたリズムがほとんど無くなってしまいました。それとともに、人間関係も大きく変わっていきました。四合院に住んでいた人たちは、隣同士がとても濃密な関係でした。洗い場も一緒でしたし、生活の色々な場面を共にしてきたのです。まるで四合院の中が、大家族のような感じだったのです。しかし、アパートに移ると以前のようにはいかなくなりました。人間関係が段々と疎遠になってしまったのです。
◆ チャン・ファン君が、日本に来てビックリしたことや感想を聞かせて下さい。
チャン・ファン:一番ビックリしたことは、東京がとても衛生的で気候も良いということです。それとたくさんの物がオートマチック化されているということです。印象深かったのは、東京の人はすごくマナーが良くて、環境と同じようにとても感じが良かったことです。
◆ この映画の最初の方でが扱っている文化背景は文化大革命の終わりの時期です。なので、中国人にとっては良く分かることで、当時のことは甦るのですが、日本の観客はこのことをあまり分からないと思うので、日本の興行的にはどうなのでしょうか?この作品が国際的である要素はどこにあると思いますか?
チャン・ヤン監督:確かに今の日本の若者にとって、中国の文化大革命についてはほとんど分からないかもしれませんが、逆にこの作品を通して分かっていただく良い機会だと思います。この作品を見ると中国の30年来の非常に大きな変化が描かれていますので、その辺りが分かると思います。また、この映画の大きなテーマが父と子の関係ですが、これは国や環境を問わず同じようにこの複雑な関係が存在しているのだと思います。なので共鳴していただける部分が、あるのだと信じています。父と子の関係は世界共通だと思います。
◆ 最後に皆様へメッセージと見どころを教えて下さい。
チャン・ヤン監督:映画で描いている30年に渡る父と子のわだかまりが、この映画のテーマです。映画を見ていただいて、是非観客の皆さん一人一人に自分の家族を思っていただきたいと思います。たぶん皆さんそれぞれが、それなりにこの映画のようなことは思い当たるところがあると思います。なのでこの映画を見ながら自分の影をスクリーンの人物にぶつけて、家族との関係をもう一度考えて、その中で経験してきた苦しみも悲しみも喜びも、色々感じ取っていただけると非常に嬉しいです。>
チャン・ファン:最初にも言いましたが、是非この映画を見て下さい。よろしくお願いします。ありがとうございました。